韓ドラ『まぶしくて』より〜
雪が降り始めた日、認知症の為に療養施設にいる母が部屋にいない。
施設の庭にいた母を見つけ「何をしてるんだ?」と問うと「足の不自由な息子の為に、雪かきをしている」と。
息子は、学生時代の通学路を思い出す。
雪の日の坂道は、不自由な脚では滑りやすい。
増してや、坂道。
けれど、通学路はいつも雪かきがしてあった。
誰が雪かきしてくれたのか?
ご近所さんか?
息子は、幼い頃の交通事故の為、片方の足の膝から下が義足になっていました。
友達にはいじめられ、仲間はずれ。
学校に行きたくないと言う自分に、母は容赦ない。
転んでも助けてくれない。
息子にとって、母は、厳しい冷たい母でしかなかった。
それが、初めて母の優しさ、母の自分を思う心を知ったのです。
そして言うのです。
「息子は、それを知らない」
その母の想い、優しさを知らないと。
認知症の母は言う「知らなくても大丈夫です。息子が転ばなければそれでいい」
善行を施す時、人知れず行うのか、人に知ってもらって行うのか。
どちらが良いか悪いかではないけれど、人知れず行う人の心を美しく思うのです。
ただ、この息子さんは寂しい数十年を過ごすのです。
ただ一人の味方であって欲しい母に冷たくされ、母とのあったかい交流に恵まれる事なく。
目に見える事実。
目に見えない真実。
伝わってこそ、生まれる温かさもあると思います。
ならば、どう生きたら良いのでしょうか。
私は数年前に、大阪に行って心理学を学んだ。
その時に出会った友達は、かけがえのないものになったのはもちろんだけど、最近知った事がある。
このブログを、別に書いているインスタを、名前を明かさずに陰ながらフォローしたり、いいねを押してくれてたり、見てくれていた友達達がいてくれた事を。
同じような内容にも関わらず、いつも見てくださっている方、友達に感謝です。
陰ながら見てくれている友達、お客様に感謝です。
いつもありがとうございます。